2026年1月24日

土間に立ち、唄い、迎える——関さんがいせんで過ごした10年

長く働ける理由が、ここにあった——現場で続ける関さんが語る、いせんの仕事

77歳、いせんで働く関さんの仕事と暮らし

今は三つの仕事をさせてもらっています。
朝食の仕事と、「土間クッキング」、それから日曜日の夜に唄っている民謡です。
最初の3年がryugon、HATAGO井仙になってから7年。
気づいたら10年、あっという間でした。
今年で77歳になりましたが、仕事を辞めたいと思ったことは一度もないんです。
目標は80歳まで現役でいること。
今はそれが、いちばんの目標ですね。

長く働ける理由が、ここにあった——現場で続ける関さんが語る、いせんの仕事

「好き」になったのは、ずっと後になってから

正直に言うと、若い頃は「仕事が好き」なんて思っていませんでした。
商売はしていましたけど、毎日必死で、どう向き合えばいいのか分からない時期も長かったですね。
いせんに入ってから、朝食と土間クッキング、それから民謡と、三つの役割を任せてもらうようになって。
その頃からでしょうか、「ありがたいな」と思えるようになったのは。
民謡も、昔はどちらかというと「やらなきゃいけないもの」でした。
こんなふうに人の前で唄わせてもらえることが、どれだけ恵まれているか、やっと分かったのは。
今は、人生でいちばん仕事が楽しいです。

土間クッキングは、料理を教える場所じゃない

土間クッキングは、宿の中にある土間で、少人数のお客さまと一緒に料理をつくる時間です。
レストランでも、料理教室でもありません。
雪国の暮らしの中で受け継がれてきた食の知恵を、手を動かしながら分かち合う場です。
もともと私は、山菜料理を出す店を30年近くやっていました。
山菜は、採ることよりも、保存のほうがずっと難しい。
春に採ったものを、どうやって冬までおいしく保つか。
そこに、いちばん手間をかけてきました。
土間クッキングは、いせんに入ってすぐ任せてもらいました。
料理も、食材選びも、山に入るところからです。
何がいい、何がだめ、と言われたことはありません。
いい意味で、放っておいてもらっています。
だからこそ、自分のやり方で、無理なく続けてこられました。

長く働ける理由が、ここにあった——現場で続ける関さんが語る、いせんの仕事

一時間半で生まれる関係

土間クッキングは、お客さまと一対一、あるいはごく少人数で向き合います。
同じ台所に立って、話しながら手を動かす。
その時間は、だいたい一時間半ほどです。
たったそれだけの時間なのに、別れ際はいつも寂しく、涙が溢れることも少なくありません。
香港から来たご家族で、9歳のお子さんがいて。
最初は静かだったのが、だんだん懐いてくれて、帰るころには、自分のことをいろいろ話してくれるようになりました。
お母さんは、最後にハグまでしてくれました。
台湾から、土間クッキングのためだけに、わざわざ日本まで来てくださったお客さまもいます。
日帰りの滞在でしたが、「どうしても、ここでこの時間を過ごしたかった」と言ってくださいました。
料理をつくっているようで、気がつくと、人と人が向き合っている時間になっているんです。
同じ場所で、同じことをして、同じ時間を過ごすこと。
それだけで、関係はちゃんと生まれるんですね。

唄もまた、仕事になった

もともとは、主人の三味線に合わせて色々なところに呼ばれて民謡を唄っていました。
それを社長が、
「ryugonで唄ったら?」と声をかけてくれて。
最初は戸惑いましたが、やってみたら、お客さまがとても喜んでくださって。
今は、毎週日曜日の夜8時。
文化財に指定されている部屋で、主人が津軽三味線を弾き、私が唄います。
76歳の主人も、その時間になると本当に生き生きしています。
唄うことで、お客さまと言葉を交わし、その土地の空気を共有する。
これも立派な仕事なんだと、今は思っています。

長く働ける理由が、ここにあった——現場で続ける関さんが語る、いせんの仕事

雪国で働く、ということ

雪が降った次の日に晴れると、山が光るんです。
四方を山に囲まれていて、朝にその景色を見るたび、「ああ、きれいだな」と素直に思います。
私は新潟市の加茂の出身で、あそこも「小京都」と言われるくらい、落ち着いた良い町でした。
でも、ここに来てからは、季節の移ろいをもっとはっきり感じるようになりました。
春の山菜、夏の緑、秋の実り、そして冬の雪。
ただ季節が巡るのではなく、「暮らしの中に季節がある」という感覚です。
昔は、雪は大変なものだと思っていました。
でも今は、雪があるからこそ、この土地の食べものや暮らし、仕事のリズムが生まれていると感じています。
山菜の保存の仕方もそうですし、冬の時間の使い方もそう。
自然に合わせて生きることが、無理なく仕事につながっているんですね。
この景色や空気を毎日感じながら働けることが、今の私には何よりの幸せです。
「きれいだな」「ありがたいな」と思える気持ちが、そのままお客さまへの接し方にも表れている気がします。
この土地で働くということは、ただ仕事をするだけではなく、暮らしそのものを味わうことなのだと思っています。

意見がぶつかることも、仕事の一部です

私は物事に対して真っ直ぐに考える性格なので、料理の進め方や考え方で意見が食い違うこともありました。
ただ、それは「誰かが間違っている」という話ではなくて、それぞれが仕事に真剣だからこそ起きることだったと思います。
以前は、つい感情が先に出てしまうこともありましたが、長く一緒に働く中で、お互いの考え方や距離感が分かってきました。
今では、言いたいことはきちんと伝えるけれど、引きずらない。
言い合っても、あとに残らない。
そういう関係になれたと思っています。
年齢を重ねたからこそ、「この人とどう働き続けるか」を考えるようになりましたし、その積み重ねが、今のいせんの空気をつくっている気がします。

次につなぐ、ということ

土間クッキングも、そろそろ次の人に渡していく時期かな、と思っています。
ありがたいことに、「やってみたい」と言ってくれる人は、何人もいます。
でも、私と同じやり方をしなくていいんです。
全部同じにする必要はない。
その人なりの関わり方、その人なりの料理で続いていけばいい。
土間クッキングは、料理を伝える場でもありますけど、それ以上に、人と人が向き合う場所だと思っています。
山菜の話をしたり、暮らしの話をしたり、一緒に手を動かしながら、自然に距離が縮まっていく。
だからこそ、「正解」を残すより、続いていく余白を残したいんです。
私自身、ここまで続けてこられたのは、任せてもらえたから。好きにやらせてもらえたから。
次の人にも、そんなふうに、自分の形をつくっていってほしいですね。

長く働ける理由が、ここにあった——現場で続ける関さんが語る、いせんの仕事

これから働く人へ

張り合いは、自分で見つけるものですね。
人と話すことが好きな人。
人を好きでいられる人。
そういう人なら、ここは最高に楽しい場所だと思います。
還暦を迎えてから、こんな新しい役割をもらえるとは思っていませんでした。
ここが、最後の仕事場。
最後の集大成だと思って、一人でも多くの人に、雪国で生まれた食べものやここでの暮らしの良さを、自分の言葉で伝えていきたいと思っています。

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