2026年3月31日

続けるために、変わり続けてきた宿

いせんは、100年以上続く宿です。
老舗と聞くと、変わらないことを大切にしている場所を思い浮かべるかもしれません。けれど、いせんの歴史を振り返ると、そこにはむしろ「選び直し」の連続があります。
宿の場所を移す。
建物を建て替える。
宿の名前を変える。
事業の形を広げていく。
その時々で必要だと思えば、形を変えてきました。
大きな挑戦として語られることは多くありません。けれど、そうした選択を重ねてきたからこそ、いせんは今も続いています。
ここで働くということは、変わらないものを守ることだけではなく、その時代に合う形を考え続けることでもあります。
いせんの歩みをたどると、この宿に流れているカルチャーが少し見えてきます。

最初の選び直しは、宿の場所だった

いせんの歴史をたどると、最初の大きな選び直しは立地にありました。
初代はもともと駅の東口に宿を構えていましたが、西山地区で温泉が湧いたことを受けて、宿を移します。まだ駅の出口がどうなるかも確実ではない段階で、「駅の反対側にも出口ができるはずだ」と見込み、今の場所へ動いたのです。
結果として、その判断は現在のいせんの土台になりました。駅前という立地は、その後の宿の役割や展開にも大きくつながっていきます。後になって見れば、この移転は単なる場所の変更ではなく、この宿のあり方そのものを決める最初の選択だったと言えるかもしれません。
今ある形をそのまま守るのではなく、これから必要になる形を考えて動く。
その感覚は、創業の時点ですでに表れていました。
いせんのカルチャーを語るとき、変化を受け入れる柔らかさは最近できたものではありません。最初の一歩からすでに、「変えないこと」よりも「合う形を選ぶこと」が大切にされていたのだと思います。

代を重ねるごとに、宿の役割は広がってきた

いせんは、同じ旅館業をそのまま大きくしてきたというより、時代に応じて宿の役割そのものを広げてきました。
初期の井仙は、泊まる場所であると同時に、人が集まり、つながる場所でもありました。
会長の話によれば、当時は湯沢にスキー文化を広める動きと深く関わっており、宿を起点に人との和が広がっていったといいます。
旅館の役割は、客室の中だけで完結していませんでした。
その後、上越新幹線の開通やスキーブームを背景に、駅前にある宿として、増えていく人の流れを受け止める役割が強くなっていきます。

さらに現在は、湯沢という一つの町を案内するだけではなく、七市町村で構成される雪国観光圏へと視野を広げ、地域全体をどう伝えるか、どう回遊させるかという視点で宿の役割を捉えるようになっています。
振り返ると、いせんは「旅館とはこういうもの」と役割を固定してきたのではなく、その時代ごとに求められる役割を引き受けながら、宿の意味を少しずつ広げてきました。
泊まる場所から、人が集まる場所へ。
町の玄関口へ。
地域を伝える拠点へ。

そうした広がりの積み重ねが、今のいせんをつくっています。

大きく変えるときも、発想は地に足がついていた

いせんが大きく形を変えるとき、その判断はいつも地に足がついていました。
たとえば1980年代前半、上越新幹線の開通やスキーブームによって、お客様は大きく増えていきました。
そうした需要を受けて、いせんは客室を増やし、1985年には本館を鉄筋4階建てに建て替え、「ビューホテルいせん」として再出発します。
これは、増えていく人を受け止めるための、きわめて現実的な判断でした。
ただ、その建て替えも、目先の需要だけを見ていたわけではありません。
会長の話によれば、壁は簡易な仕切りにして、使い方を変えられるようにしていました。
今だけではなく、この先また時代が変わることを見越して、後から調整できる余地を残していたのです。
2005年の「HATAGO井仙」へのリニューアルも同じです。
名前を変えたこと以上に大きかったのは、宿のあり方を見直したことでした。
客室での料理提供をやめ、館内レストランで食事を出す。
廊下を畳敷きにし、スリッパをなくす。
1泊朝食付きのワンプライスを採用する。
どれも新しさを演出するためではなく、これからの時代に合う宿の形を考えた結果でした。
いせんの変化には、いつも「なぜ今これを変えるのか」という理由があります。
ただ新しくするのではなく、必要があるから変える。
しかも、その判断は先の変化まで見据えている。
だから大きく変えるときでも、発想はぶれずに現実的です。
その積み重ねが、この宿を次の時代へつないできたのだと思います。

新しいことは、思いつきではなく必要から始まる

いせんの変化には、思いつきの軽さがありません。
たとえば製菓への取り組みも、「何となくやってみたい」から始まったわけではありませんでした。
レストランでコース料理を出す中で、最後のデザートをもっと良いものにしたい。
お客様により良いものを届けたい。
その必要から、お菓子づくりに踏み出しています。
最初は「旅館でお菓子なんてできるはずがない」という声もありました。
それでも、自分たちでやる意味があると判断したからこそ、知り合いのパティシエと一緒に始め、時間をかけて定着させてきました。
多能工という働き方も同じです。
旅館独特の中抜けシフトは、特に女性にとって働きにくさにつながっていました。
朝と夜に勤務が分かれ、その間に長い休憩がある。家庭や子育てのある人にとっては、拘束時間の長さが大きな負担になります。
だからこそ、一つの仕事しかできない状態を変え、食事提供だけでなく、お見送りやチェックアウト処理、売店やカフェなど、できることを増やしていくことで、中抜けをなくし、時間の融通が利きやすい環境をつくろうとしたのです。
ここには、「新しい制度を入れたい」より先に、「働きやすくしたい」「もっと良いものを届けたい」という理由があります。
いせんでは、変化はアイデア先行ではなく、必要に押されて始まることが多いのだと思います。
その分、始まった取り組みは浮つきません。
実際の課題に根ざしているからこそ、少しずつ形になっていくのです。

ここで働く人も、少しずつ役割を広げていく

いせんが変わってきたのは、会社のかたちだけではありません。
その変化は、ここで働く人の役割の広がりにも表れています。
実際に、物販から仕事を始め、喫茶の立ち上げに関わり、商品開発や選定を担い、飲食店の立ち上げ、別館の立ち上げ、さらにツアーの企画や催行へと役割を広げてきたスタッフがいます。
パートで入社した頃には想像もしていなかったほど、仕事の内容も幅も広がったという言葉からは、いせんの変化が一部の人だけのものではないことが伝わってきます。
また、新卒で入社したスタッフも、レストランだけでなく予約管理まで多能工に働いていると語っています。
いろいろなポジションを経験するからこそ、料理のことも、部屋のことも、お土産のことも、自分の中に情報が蓄積されていく。
電話で何を聞かれても、自分の実感を持って答えられる。
それは単に担当業務が増えるというより、宿を立体的に理解できるようになる、ということなのだと思います。
最初から何でもできる人だったわけではありません。
ひとつずつ経験しながら、少しずつ任される範囲が広がっていく。
その積み重ねが、会社の変化と重なっています。
いせんで働く人は、決められた一つの職種だけを守るのではなく、その時々で必要な役割に触れながら、自分の幅を広げていきます。
会社が新しい役割を引き受けるたびに、働く人の仕事の幅も広がってきました。
いせんの変化は、歴史の話であると同時に、ここで働く一人ひとりの実感にもなっているのです。

変わり続けることが、いせんのカルチャーになっている

ここまで見てくると、いせんにあるのは「挑戦好きな会社」というより、「続けるために必要なことを、その都度選び直してきた会社」という感覚です。
新しいことを始める理由は、目立つためではありません。
お客様にとってよりよい形にするため。
地域にとって必要な役割を果たすため。
働く人にとって無理のない形をつくるため。
その積み重ねが、いせんの今をつくってきました。
だから、ここで働くことは、完成された仕組みの中に入ることではありません。
すでにあるものを受け取りながら、その時代に合う形へ少しずつ整えていく側に立つことでもあります。変わることを怖がりすぎず、変わらないことに頼りすぎない。
その間で考え、選び、引き継いでいく。
そうした感覚が、働く人の中にも自然と根づいていきます。
しかも、その変化は一部の経営判断だけで進んできたものではありません。
実際には、現場で働く人が役割を広げ、地域のことを学び、宿の外にまで視野を広げながら支えてきました。
宿のかたちが変わるたびに、働く人の仕事も広がり、その広がりがまた次の変化を受け止める土台になってきたのだと思います。
老舗であることは、変わらないことではありません。
むしろ、続けるために何度も更新してきた結果として、今がある。
そこに、この宿らしさがあります。
いせんのカルチャーは、派手な言葉でつくられたものではありません。
必要なことを、必要な時に、きちんと選んできたこと。その積み重ねが、いつの間にかこの宿の空気になっているのだと思います。

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