雪国暮らしを楽しむ。
それが仕事につながって


小野塚さんといえば、山菜ときのこのマイスターです。山菜ツアー、きのこツアーは、担当して10 年以上になるそうですね?

小野塚

初めは「1回やってみようか」という軽い感じだったんです。地元ならではのプログラムを企画運営する"着地型観光" を推し進めていこうという動きがあって、それに乗っかった形でした。


初めから、手応えはあったんですか?

小野塚

「対価がなくていい」「楽しさを共感できれば」と始めたので、そういう意味ではよかった。ただ、当初は参加費を安くしすぎたからか、参加者がその後、勝手に山に入ったりと、「ツアー後」を整備できなかった。これはまずい、と思って、適正な価格にして、顔の見える関係にしたら、本気で「一緒に行きたい」という人たちに絞られてきて。ツアーの雰囲気も変わりましたね。


今では参加者が、一年後、半年後のツアー予約を入れていくほど定着したそうですね。

小野塚

シーズンの週末はほぼ埋まっていますが、平日は空いていますよ。回を重ねるうちに、参加者もただ山菜を取りに来るのではなくなって。こう言ったら何ですが、私と行きたい、と、わざわざ来てくださる。そうなってくると、できるだけ楽しんでもらいたい、とこちらも準備をしますし、楽しんでいただけることで私も楽しくなる。いい関係と循環が生まれました。


山菜・きのこツアーをきっかけに、いろいろなツアーを始めて。

小野塚

雪の中をカンジキで歩いたり、かまくらを作って、中で笹団子や夕飯を食べたり。常連客の方と、魚野川で投網をしたこともあります。


その延長が、今、ryugon で行っているツアーに結び付いているんですね?

小野塚

現在、数にして12くらいあります。もっと増やしていこうと思ってます。


ツアーを考えるにあたって、大切にしていることはありますか??

小野塚

まず、雪国という地域を感じてもらい、ここでしか味わえない体験をしてもらうこと。同時に、私自身が楽しめることを一緒にやりたい、と思っています。


雪国の案内人だけれども「先生」ではない。その立ち位置だからこそ、ファンがつくんだと思います。「土間クッキング」では、かまどのご飯も炊いてますし。関さんが、「支配人が一番上手」って言ってました。小野塚さんは、今のご自身の仕事のあり方を、例えば10 年前に想像していましたか?

小野塚

いえ、まったくしていませんでした。日々、旅館の業務をしつつ、一見、関係なさそうなこともいろいろやっている。改めて考えると、不思議だなと思います。


そもそも、なぜいせんに入ったんですか?

小野塚

以前は、10 年ほど別の宿泊施設で働いていました。全国チェーンだったんですが、いわゆる「組織」で、何か身に付けたとしても成果につながらないというか。一方で、地域に関わることもしたい、とも思っていたんですね。そんな時に、いせんの理念を知って、これだ、と。


地域とともに、というところですか?

小野塚

そうです。HATAGO 三輪の書です。お客様、地域、スタッフ、三方がともに伸びて、良くなっていこうという考えに、すごく引かれました。


それで入社し、「HATAGO 井仙」のマネージャーになり、現在は「ryugon」の支配人に。

小野塚

今年で15 年目になります。


小野塚さんは田んぼもしていて、普段は農作業との二本立て。それは変わらず、ですか?

小野塚

春は田んぼ仕事。肥やし撒きから田おこし、代かき、田植えまで。田植えが終わると、自宅用の山菜を取って保存。終わる頃には草刈り。グリーンシーズンは休みも休みじゃないですね。ただ、こういう暮らしが、ツアーやガイドのベースにもなっているし、何より、モチベーションになっている。単純に、好きなんでしょうね。


雪国の暮らしと仕事、小野塚さんの中ではオーバーラップしていますね。暮らしの中から仕事を考え、仕事で身に付けたことを暮らしで生かしたり、試したり。

小野塚

スタッフの中には「自分には何もない」と言う人もいるんですが、特技は後から、いくらでも付けられる。まずは興味。面白い、と思ったら、それを特技にしていけばいい。いせんという器が、そういう受け皿になるといいと思うし、チャンスを広げるきっかけになるといいと思っています。

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